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正直者は馬鹿を見る?:米軍が引き続きメキシコ国境警備 [ふと考えること]

国家安全保障省の任務を支援して19年
今や当たり前にみられてバイデン政権後も継続投入

Mexico border2.jpg2月25日付Military.com記事は、本来は20年前に誕生した国土安全保障省の任務でありながら、断続的に米軍が19年に渡り支援し、現在も3600名がメキシコ国境警備に展開している状況について国土安全保障省が今後も最低5年は継続支援を要請し、国防省側が恒常的な支援状態は好ましくないとの姿勢だと報じています

本件は、トランプ大統領が2019年2月に国家緊急事態宣言して国防省予算や米軍兵士を国境の壁予算や建設に投入して物議をかもしましたが、バイデン政権誕生後はこの宣言を引っ込めており、本来なら米軍派遣は根拠レスとも言えますが、引き続きメキシコ国境に不法移民が押し寄せる現状から、米軍の派遣は常態化しています

Mexico border.jpgこの状態に対し、米議会が会計検査院GAOに調査するように命じ、調査を踏まえてGAOが提言を行い、国防省には派遣要請を受ける判断基準の明確化、国境派遣のコストや部隊即応態勢への影響をきちんと評価して報告するよう要望し、国防省と国土安全保障省の双方に、両者でよく協議して恒常的な支援形態をまとめるよう提言したようです

これに対し国防省は、派遣判断基準やコストや部隊への影響報告には同意しましたが、恒常的な派遣に関する協議については拒否し、可能な範囲で国防省側の判断で派遣するとの姿勢を示しているようです

GAOはこのような国防省の姿勢に対し、実質的に大した問題もなく継続的に派遣し、コスト負担についても柔軟に対応してきた経緯があるにもかかわらず、今になって消極的な姿勢を見せるのはおかしいと指摘しているようです

国土安全保障省DHSが20年前に誕生した経緯を把握していませんが、DHSが自らの任務を自分の力で果たす能力を20年経過しても持ちえず、実質的に将来も変わりそうもないことが明らかな中、米軍頼みのゆがんだ体制はバイデン政権になっても変わりようがないのでしょう・・・

2月25日付Military.com記事によれば
Mexico border3.jpg国土安全保障省(DHS:Department of Homeland Security)が「南部国境管理:継続的な国防省支援の必要性と、対処すべきコストや即応態勢の課題」とのレポートをまとめ、今後少なくとも3-5年間、恐らくそれ以上、少なくとも現状数(3600名)以上の米軍派遣継続が必要だと訴えている
一方で国防省は調査を行ったGAOに対し、「国土安全保障省が独自に国境管理を遂行するまで期間に限り、一時的な支援を行う方向が望ましい」との姿勢を示している

現在の米軍派遣はトランプ大統領の要請で2018年4月から始まっているが、国境での不法入国の罪で拘束される人数が、40万から85万に急増したことが派遣要請の背景にある
Mexico border5.jpgなお前出のDHSレポートは、2018年4月から2020年9月までの米軍派遣コストを、約1100億円と推計している

国防省が長期的な派遣体制についてDHSと協議して固定するような方向を拒否する姿勢を見せていることに関し、GAOは、実際に国防省側が積極的に支援している現実との相違が理解できないと批判的にコメントしている
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この流れを見て思います。

Mexico border6.jpgわが国で自衛隊があらゆる場面に「便利屋」として担ぎ出され、地震や豪雨災害派遣ならいざ知らず、豪雪にもかかわらず高速道路に突っ込んだ車両への支援、鳥インフルや豚インフル関連の動物処分、更にはさっぽろ雪まつりの雪像作成まで、何でもかんでも拡大解釈で投入され、いつの間にか「当然視」され、「正直者が馬鹿を見る」ような状態におちいっているのではないかと・・・

いつまでも便利屋扱いしていると、だれも志願しなくなりますよ・・・・。あなたの子供をその職につけたいですか???

「米陸軍正規兵に国境の壁ペンキ塗り任務で非難殺到」
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中国政府が東北3省で産児制限撤廃へ [ふと考えること]

中国は1979年から「一人っ子政策」
2015年に慌てて「2人まで認める」に政策転換、しかし・・・

出生率.jpg19日付読売新聞電子版(20日付朝刊にも)は、若い世代の流出などで少子化が深刻で、働き手不足が深刻になりつつある東北3省(遼寧、吉林、黒竜江)に対し、中国政府が産児制限の撤廃を検討する方針を示したと報じています

正確には、18日に「国家衛生健康委員会」が産児制限撤廃の方針を明らかにし、産児制限の撤廃が与える経済的影響などを分析するよう東北地方の政府に指示すると伝えられています

東北3省2.jpg今回は「東北3省」を対象とした指示となる模様ですが、少子化が全国的に深刻になっている中国では、これをケーススタディーとして、全国に産児制限撤廃の動きが広がる可能性があると読売新聞は報道しており、注目を集めています

中国は急激な人口増加に危機感を感じ、1979年から「一人っ子政策」を全土で推し進めましたが、急速な経済発展に合わせ少子化が進んだことから、2015年に全国で「2人まで認める」決定をしました。しかし少子化傾向に歯止めはかからず、むしろ加速しているようです

少子化.jpg記事は、2020年の新生児数は「前年比15%減」の1003万人で、政府系調査研究機関の中国社会科学院は2019年に、中国の人口は2029年の14億4200万人をピークに減少に転じるとの予測を紹介し、少子化の背景には、不動産や教育費の高騰、子育て環境整備の遅れなど、政治から経済にまたがる構造的な要因があると解説しています

もちろん日本の少子化も深刻で、他国の心配などしていられる場合でないのですが、以下、記事に寄せられたコメントから、中国を一つのケースとして、人間の本質を見つめたいと思います

中島恵(フリージャーナリスト)
記事にあるように、不動産(新居購入)や教育費に、あまりにもお金がかかりすぎるという問題が大きいが、他にライフスタイルの変化、結婚率の低下など、政府がコントロールしにくい構造的な問題がある
皮肉なことに、それが顕著になってきたのは、一人っ子政策が撤廃された2015年頃からです。産児制限を撤廃して済むという問題ではありません。たとえ補助金などを出しても、子どもは増えていかないだろうと思う

中国の駐在員
中国ではとにかく子供に金がかかる。都市部だけかもしれないが、子供が結婚したら男の親はマンションを、女の親は車を買い与えないといけないとか
物価も、物によっては日本と同じかそれ以上の体感だけど、給料は日本より安い。そりゃあ子供を何人も育てられないよね

投稿者
中国の結婚難民の男性(一人っ子政策で男子人口が女性より多い)が女性を狡猾(こうかつ)なものに変えてしまった
幸せの形がお金無しでは話にならない、貧富の格差は夫婦の人生まで変えてしまう。子供をたくさん産んで幸せだった時代は、例え中国であっても過去のものになっています
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東北3省.jpg「東北3省」の経済的沈滞は深刻で、世帯の半数が貧困層・破産状態・・・との見方もあるようで、社会経済的に大きな問題を抱えているようですが、この地域が「アリの一穴」となって、中国全土で産児制限撤廃へ・・との見方は広くあるようです

この記事のコメント欄には他に、「日本は北欧のどこかのように、3人目から月に10万とか手当を出せばいい」とのありがちなコメントもありますが、現在社会は人間から、生き物としての基本機能である「子孫を増やす」との機能を失わせるインパクトを持っているようです

日本では、平成に入ったころからそんな時代に入ったのかもしれません・・・

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核兵器禁止条約でごたごた言う前に [ふと考えること]

日本と核兵器について改めて考える
茂田宏氏の10年前の論考を再掲載

TPNW2.jpg1月22日に核兵器禁止条約が発効したことで、日本のメディアがパブロフの犬のように、広島や長崎市長、ICANやサーロー節子氏や反核団体のコメントを垂れ流しています

また、同条約の締約国会議に条約に参加していない国もオブザーバーとして参加可能なことから、国連軍縮担当の中満泉事務次長(立派な女性です)の「日本国内からもオブザーバー参加すべきとの意見が出ているが、ぜひそうなればいいと思う。これから条約に関する議論が始まる過程で、機会を逃さずにとらえていくことは、唯一の戦争被爆国の役割かもしれないと思う」との言葉を掲げ、「オブザーバ」参加を訴える報道が流布されています

核兵器保有国が参加していない条約について、このような片手落ちの報道だけに触れ、日本の将来を担う若者や次世代のリーダーが育つことに何ともいたたまれない気持ちになっていた今日この頃、日本と核兵器の問題について、わかりやすく解説されていた10年以上前の論考を思い出しました

茂田宏.jpg以下にご紹介する「核兵器の問題」との論考は、約10年前に茂田宏氏がご自身のブログ「国際情報センター」(Yahooブログ終了に伴い2019年12月に消滅)に掲載されたものです

茂田氏は、外交官として国際協定課長、ソ連課長、ソ連・韓国公使、国際情報局長、総理府PKO事務局長、イスラエル大使、対テロ担当大使などを歴任され、現在は岡崎久彦氏が亡くなった後の岡崎研究所の理事長&所長を務める方です

少し長い論考ですが、核兵器禁止条約発効の機会をとらえ、日本人としてぜひ原点に返ってこの問題を考えていただきたいと思い、茂田氏が10年以上前にブログに掲載された論考「核兵器の問題」を再度ご紹介いたします。

核兵器の問題

1、 日本は核兵器の威力を身をもって体験した唯一の核被爆国である。私はこれまで広島、長崎を何度も訪ね、原爆の破壊力、その非人道性を見てきた。広島、長崎への原爆投下は軍事目標ではなく、都市を攻撃したもので、戦争法上、違法であると考えている。

1996年7月に国際司法裁判所は、核兵器の使用および威嚇の合法性に関する勧告的意見(一般的に国際法、特に人道に関する国際法に違反。しかし国家存亡の危機の使用は合法か違法か、結論を出せない)を出しているが、それが今の国際社会の意見であろう。

2、核兵器について広島、長崎で私が考えたことは、日本国民がこういう惨禍に再び見舞われてはならない、それが何よりも重要である、ということである

3、 日本の戦後の核兵器政策は、国是と言われる非核3原則である。しかしこの政策は、日本が再び核の惨禍に見舞われるのを阻止するのに資する政策かというと、そうではない。核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずというのは、広島、長崎の経験を踏まえた反核感情に沿う政策であるが、国際政治の現実を踏まえた国家安全保障政策として、適切であるのか疑問である

戦後の日本では、核兵器の問題を安全保障政策上の問題として討議することはタブーになってきた。広島、長崎での原爆の悲惨さが語られることがあっても、何故今も核兵器が引き続き多くの国の安全保障政策の中で重要な位置付けを占めているのかについての真面目な議論はない。これはあたかも戦争の悲惨さを語ることに熱心であるが、戦争がなぜ起こるかを研究しない戦後の日本に支配的な姿勢と軌を一つにしている。

ある時NHKの討論番組で、ある高名な国際政治学者が、日本が核保有することには何のメリットもなく、マイナスばかりであると発言していた。国際政治学者の意見とはとても思えない発言である。

米が1945年にこの兵器を開発した後、1949年にソ連が、1952年に英が、1960年に仏が、1964年に中が、1974年にインドが、1988年にパキスタンが、2006年に北朝鮮が核兵器を実験した。イスラエルと南アも核兵器を保有した。南アは黒人政権成立直前に廃棄した。イラン、リビヤ、シリヤ、イラクも開発しようとした。中華民国(台湾)も開発を試みたが、米の要求を受け入れ、やめたことを2007年に公表した。韓国も朴政権時代に開発しようとした

ブラジルとアルゼンチンも、1990年に共同で核開発停止を発表するまで開発努力を続けた。中立国であるスエーデン、スイスも核兵器開発を行っていたが、スエーデンは1970年に核不拡散条約署名とともに開発計画を放棄し、スイスは1988年に放棄した

れらの国は、自国の安全保障のために核兵器の保有が必要であると、一時的にではあれ判断した。この国際政治学者の言うように、核兵器保有が何のメリットもなく、マイナスばかりであるのなら、なぜかくも多くの国が核のオプションを考えたのか、説明がつかない。国際政治の議論は現実をよく見て、それに基づきなされなければならない

核兵器の保有はその国にとり大きな安全保障上のメリットがあると言う考え方は十分に成り立つ。にもかかわらず、それを断念すると言う決断をすることもありうる。それは周辺からの脅威や核保有同盟国の有無など、諸要因を考えて決めるべき問題である

ドゴールが米と同盟しつつ、何故独自の核保有を必要と判断したのか。毛沢東が「上策は核をすべてなくすこと、中策は他国も持っているから持つこと、下策は他国が持っているのに自分だけ持たないことであるが、中国は中策を選ぶ」とした判断をどう考えるか。英国でトライデント潜水艦更新時に毎回繰り返される、米の核の傘に頼るだけで十分で独自核は要らないのではないかとの論争と、それが毎回独自核保有は必要と言う結論になることをどう考えるか。そういう議論をよく踏まえた上で、かつ周辺の状況もよく見た上で、日本も議論をすべきであると考える。単にタブー視して、議論を避けるのは責任ある態度ではない。

4、 日本は不幸なことに核兵器保有国に取り囲まれている。同盟国の米に加え、中・露・北朝鮮がある。再び日本が核の惨禍に見舞われないために、これらの国、特に北朝鮮による核兵器攻撃はしっかりと抑止する必要がある。そのためには、今は米の核の傘しか頼るものがない

米の核の傘については、二つの事例をよく考える必要がある。

第1:1975年にソ連が欧州の都市攻撃が出来る中距離弾道ミサイルSS-20をソ連欧州部に配備した。ドイツの当時のシュミット首相はこの兵器は米と欧州の安全保障をディカプリングする(切り離す)効果があると主張した。シュミットが言ったのは、「米国がベルリンを守るために米国から反撃したら、ソ連はニューヨークやワシントンを攻撃するだろう。しかし米国がベルリンを守るためにニューヨークやワシントンを犠牲にすることはないであろうから、したがって欧州より発射される核ミサイルで反撃するしかない。」ということであった。それで、欧州へのパーシングIIと核弾頭搭載巡航ミサイルの配備をすること、同時にソ連とこのミサイルを撤去する交渉を行うことになった。結局この問題は、1987年に中距離核戦力全廃条約が米ソ間で締結され、パーシングIIと巡航ミサイルおよびSS-20が廃棄されることになった。 極東地域に配備されていたSS-20も廃棄された。日本ではディカプリングの議論は起きなかった。

この事例で注目すべきことは、米国がシュミットの議論を受け入れたことである。米本土が攻撃を受けることを覚悟しベルリン攻撃に反撃するのか否かについて、不確定性があることを米は認めたのか。私は米国の当局者にこの点を何度か質問したことがある。答えは核の使用は状況によるが、シュミットの論を受け入れたわけではない、しかしシュミットは重要同盟国の首脳であるので、彼の懸念には配慮すべしということであった、との説明であった

中国は核戦力を増強し、米ソが廃棄した中距離核ミサイルを保有するほか、今や米本土攻撃能力を持ってきている。東京への攻撃に反撃するためにロス・アンジェルスやサンフランシスコを犠牲にする用意が米にあるのかが、シュミット式の考えをすれば問題になる。 更に北のミサイルが米本土攻撃能力を持つ日は近付きつつある。 そういう中で、米の核の「持ち込み」を排除する非核3原則の第3原則は大きな問題をはらむ。 現に韓国では、米戦術核の再導入が議論されている。

第2:NATOでは、核共有の制度がある。これにはベルギー、ドイツ、イタリー、オランダなどが入っている。同じようなシステムを日米でも作り、米の核使用について日本も発言権を持っておくべきではないかという問題がある

日本が再び核攻撃を受けないために、どうすればよいのかを現実を踏まえて考えることが求められている。核不拡散条約のこともあるが、反核感情に配慮するだけでこの問題を済ますわけにはいかない

5、 戦後の国際政治において、核兵器が果たした役割は大変大きい。この兵器は人間の戦争と平和に対する考え方に大きな影響を与えた。フルシチョフが平和共存政策を打ち出した背景には、核戦争が人類の滅亡につながるとの認識があり、マルクス・レーニン主義の帝国主義勢力との戦争不可避論の転換であった。エジプトのサダトがイスラエルとの戦争はもうできないと考えた背後にはイスラエルの核があった

米ソの冷戦が熱戦にならなかったのは、米ソ間で核の破壊力への恐怖に基づく戦争抑止があったからである。この問題は避けて通るには大きすぎる問題であろう

6、 私はこの夏、「終戦史録」を読み返した。 広島、長崎の人々は原爆の犠牲になることにより、一億玉砕も辞さずという軍の戦争継続論を圧倒し、戦争をやめさせた。我々がいま生きているのはこの尊い犠牲によるということがよくわかった。我々は彼らに感謝しなければならない。 広島や長崎の人々は広島、長崎の被爆の実相を世界に伝えることに努めている。これはこの非人道的な核兵器が人々に対し使われないようにするために役立つことであり、今後も続けるべきであろう。 しかし国際政治の現実をみると、核兵器をなくすのはほぼ不可能である。人間は一度得た知識を忘れ去ることはできないし、核保有国が核を全部廃棄することは近い将来考えられない。我々は核兵器と共存せざるを得ない。核兵器が抑止機能のみを果たし、実際に使われないようにすることが大切である
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もう一つ、議論の要素として核兵器導入に必要な予算や人的資源のことも頭に入れる必要があるでしょう。最低でも維持管理施設やインフラ整備に等の整備に、一声10兆円は必要と考えておいてよいのではと思います

TPNW.jpg末尾にご紹介するように、ブログ「東京の郊外より」では、過去何回も「国際情報センター」の内容を取り上げさせていただきました。Yahooブログ終了に伴い2019年12月に「国際情報センター」が消滅してしまい、もっと掲載されていた記事を残しておけばよかったと後悔しております

2011年12月が最後の更新で、当時から情勢が変化したものもありますが、基本的な考え方は今でもとても参考になります。なによりも、「的確な国際情勢判断をする国民、それが国の進路を誤らない最大の担保です」との冒頭の言葉が強く印象に残っております

茂田宏:岡崎研究所理事長&所長のご紹介
(同研究所webサイトより)
http://okazaki-institute.org/about/shigeta

茂田宏氏「国際情報センター」関連の記事
「国際情報センター終了へ」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2011-12-18
「ロシア社会の停滞と憂鬱」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-09-15
「INF条約を廃棄すべき」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-08-18
「韓国への戦術核再導入議論」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-08-18-1
「元モサド長官イラン攻撃は」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-05-12
「インテリジェンス 機密から政策へ」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-05-22
「アラブに民主主義がなぜ少ない」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2011-02-02-1
「武器輸出3原則の偽善」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2010-09-15-2
「核密約と抑止(後編)」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2009-12-30
「核密約と抑止(前編)」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2009-12-29

茂田氏推薦紹介のオバマ大統領ノーベル平和賞受賞スピーチ
https://holyland.blog.ss-blog.jp/2019-07-06-1

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なぜ今?防研が湾岸戦争航空作戦メモ [ふと考えること]

2021年1月17日は湾岸戦争開戦30周年記念日です。
湾岸戦争は、米空軍がいわば一つの絶頂期を迎えた戦いであり、一方で今では、「その成功の犠牲者でもある」とも表現されるほど変化を迫られている米空軍の現在を形成した戦いでもあります。

この戦いの一端を、2019年7月の過去記事で振り返ります。
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同盟国の来援に期待する戦い方を学ぶため?
勃発から30年が経過し、新たな資料公開に期待なのか?

F-117-42.jpg2019年7月2日、防衛研究所国際紛争史研究室の小椿整治氏が、「湾岸戦争の航空作戦における連合作戦の実相」とのブリーフィング・メモ同研究所のwebサイト上で発表し、重要度の高い作戦はほとんど米軍が実施し、同盟国の貢献は極めて限定的だと述べつつ、作戦関連資料の開示がほとんど進んでいないと述べ、WW2以来の本格的な連合作戦となった同作戦の最終的評価はまだ時間が必要と述べています

昨年12月に、同じ研究室の柳澤潤氏の「フォークランド戦争における航空優勢」とのメモをご紹介したときは、これは明らかに「尖閣諸島」奪還作戦を意識したものだと解釈し、今日的な意味を類推しつつ取り上げさせていただきました。
実際防衛研究所も、4年かけて行った膨大な「フォークランド紛争研究」を公開しており、なんとなく頭の整理はできました

柳澤氏のメモ紹介記事https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2018-12-01-1
全12章の大作:「フォークランド戦争史」→http://www.nids.mod.go.jp/publication/falkland/index.html

F-15andFA-18.jpgしかし今回はよくわかりません。冒頭で述べたように、同盟国米国の来援を得て戦う近代航空戦の事例として教訓を抽出せよと無理やり取り組まされた可能性があり、米軍と他の連合国間の戦力差が圧倒的な戦いで、新たな資料開示もないことから、新たな教訓が得られる可能性が低いことを、要求元の防衛省や航空自衛隊に説明するための「メモ」なのかもしれません

とは言え、小椿氏が言うように、湾岸戦争航空戦を米軍に学ぼうとの視点はあれど、連合国の視点ではあまりありませんでしたので、イギリスやサウジ空軍を含めてショボかった実態を、約30年後の今も変わらないと達観して押さえておくのも一興なのでご紹介します。5ページ強のメモですので、ご興味のある方は、是非ご自身でご確認ください

小椿氏のブリーフィング・メモによれば
●湾岸戦争時の米軍から学び示唆を得ようとする試みは多いが、米軍と米軍以外との軍事力格差は大きく、示唆を反映することは困難である。(そんな中ではあるが、)本論は多国籍軍の航空作戦の状況と、連合航空作戦の実相について述べる

E-3 2.jpg指揮統制は形式的には、米国を中心とする西側諸国軍とサウジアラビアを中心とするアラブ諸国軍の連合作戦である。しかし実際には米軍が、軍事作戦運用のイニシアチブをとっており、中東を作戦地域とする米中央軍(CENTCOM)が、多国籍軍全体の運用を仕切っていた
イスラム教徒がキリスト教徒の作戦統制下に入ることは政治的に困難であったが、アラブ諸国は作戦計画作成能力が欠如しており、特に航空作戦に関しては、米中央軍航空部隊(CENTAF)が多国籍軍航空部隊を完全に統制し、アラブ諸国にもサウジアラビアを通じて作戦計画が調整付与され、実質的にCENTAFがアラブ諸国軍を統制した

航空戦力数では、中核となる戦闘機及び攻撃機に関して米軍が1700機以上で71%を占め、他国ではサウジアラビアが276機(F-15等)、イギリスが57 機(トーネード等)、フランスが44 機(ミラージュ等)、クウェートが40 機、カナダ26 機(F-18C等)、バーレーン24 機(F-16等)、カタール20 機、UAE が20 機、イタリアが8 機であった
●しかし最新のF-15を保有するサウジも、他の中東諸国と同様、西側と比して練度は低く、地上攻撃能力欠如等の問題点を抱え、整備能力も低く、米軍と比して減耗率が高かった

EA-6B 2.jpg●1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したが、11日には英空軍がクウェートに展開し、9月22日に米空軍の共同訓練を行った。自国の防空強化の必要性が高いサウジは、9月12日に米軍と共同訓練を行った。一方で米英軍との共同訓練や相互運用性が不足していたフランス空軍は、10月25日になって初めて他国との共同訓練を現地で始めた
他国との共同訓練は、当初2か国間であったが、3か国や2か国での攻撃パッケージ訓練も10月中旬以降増加した

航空作戦計画ATOの連絡は米空軍と同じシステムを持たない米海軍にはフロッピーディスクで空母まで運ばれた。米空軍と同じ基地の他国軍には直接システムを介せず伝えられた
●「砂漠の嵐」作戦間の航空機の損耗は、米軍が27機、他の連合国が11機であった。しかし、米軍の37500ソーティーの飛行に対し、他連合国は4800ソーティーで、連合国の損害率かなり高かった

攻撃作戦のOCA(攻勢対航空)とAI(航空阻止)では、米軍が85-88%を占め、一方で防空が主体となるDCA(防勢対航空)は、米軍が67%、サウジ空軍が18%を担った。しかし、作戦の中核となるイラク指揮中枢や主要航空基地等の攻撃は、ほとんどが米軍機によるものであった
少数のイギリス空軍機が、OCAである飛行場攻撃に参加した事もあったが、優先順位の低い目標で、ほとんど米軍以外がOCA に参加することはなかった。またサウジ空軍もDCAなど防御的航空作戦に多く従事したが、イラク空軍の反撃がほぼなかったため、交戦機会は限定的で、交戦時もサウジ空軍操縦者はパニック状態だったと言われている。

●一方で、DCA 以外でも航空輸送に関しては、サウジが全体の空輸の8.2%、イギリスが6.3%、フランスが3.9%と比較的大きな貢献を果たした

連合航空作戦の評価
F-16D ground.jpgイラクの重心部への攻撃には、ステルス機、巡航ミサイル、精密誘導兵器、AWACS、電子戦機といった先進的装備が不可欠であった。これらのほとんどは米軍がのみが保有し、重要局面で他の連合国軍の参加の余地はほとんどなかった
●またアラブ諸国の航空機は、一部には高性能機があったものの、その練度や搭載兵器等は西側と比較し全く不十分であり、米空軍が有効性を認めたのは、英空軍ぐらいであった。しかし、それも量的には少なく、しかも当初は精密誘導兵器を使用できなかった事から、クラスター爆弾による飛行場攻撃のみが有効に機能しただけだった

4か月間の「砂漠の盾」作戦は、後に続く「砂漠の嵐」作戦の長い準備期間として、連合作戦を前提とした場合に露見した様々な問題を解消することに活用された。例えば英空軍トーネードなどは空中給油機能もなく訓練もしていなかったが、この期間に装備改修や訓練を行った。

●作戦計画であるATOが前述のように円滑に配布できなかったことから、ATO に対する急な変更が発生した場合は、迅速な対応が可能な米空軍と海兵隊の地上基地配備航空部隊に割り当てられた。米軍以外の航空部隊は、急きょ変更可能性がある攻撃任務等に関与することはほとんどなかった
B-52-UK2.jpg●当時中佐として航空作戦計画全体を担当した人物は約20年後、英空軍の貢献には言及したが、それ以外は象徴的なものであったと述べている。ただ米軍から称賛された英空軍部隊のイラク飛行場攻撃も、それほど重要だったとは評価されていない

米以外の多国籍軍が多く参加したDCA等については、交戦の機会もほとんどなく、作戦として評価する状況になかった。連合作戦で懸念される友軍相撃は空対空戦闘において一件も発生しなかったが、(完全に担当エリアを分割した)作戦形態から見れば当然でもあった。実際には連合作戦を実施する上での問題が内在していたはずだが、一方的な戦況でそれが表面化することはなかった。
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結局のところ小椿氏(防衛大学校28期生 航空自衛官)は新たな資料が出ない限り、30周年を来年8月に迎える「湾岸戦争」は研究に値しないと主張しているのでしょうか?

F-117-2.jpgまぁ・・・50万人の兵力と1500機以上の航空戦力をサウジ等に派遣し、準備万端で臨んだ湾岸戦争と、まったく異なるのが対中国作戦です。

西太平洋地域には兵力を展開させる場所もなく、もちろん時間的も余裕なく、イラクと異なり弾道ミサイルを始め高度な兵器体系を保有する中国との対峙は、湾岸戦争とは軍事的に全く異なるものだと言うのが、エアシーバトルコンセプトの説明の冒頭部分で強調されていた点です。

やっぱり、エアシーバトルレポートを読み返した方が有用な気がします・・・

防研のブリーフィングメモwebページ
http://www.nids.mod.go.jp/publication/briefing/briefing_index.html

温故知新:エアシーバトルの脅威認識に学べ
「CSBA海洋プレッシャー戦略に唖然」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2019-06-13
「CSBA提言 エアシーバトルのエッセンス」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2012-12-30 
「CSBA中国対処構想」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-05-18
「脅威の変化を語らせて下さい」→https://crusade.blog.so-net.ne.jp/2012-10-08 

Air-Sea Battleカテゴリー記事100本
http://holyland.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301176212-1

ASB関連の記事
衝撃の台湾戦略提言→http://crusade.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27
ヨシハラ教授の提言日本もA2ADを→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-09-18

再度:陸軍にA2ADミサイルを→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-10-30
副理事長:陸軍にA2ADミサイルを→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2013-05-14
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Austin元大将が国防長官になる為の高いハードル [ふと考えること]

退役後7年以上経過が必要で、この規定除外は困難との見方
いずれにしても、新大統領就任段階では国防長官不在だろうと

Austin3.jpg各種軍事メディアが、バイデン政権の国防長官候補最有力だと言われていたMichèle Flournoy元政策担当国防次官が、軍需産業との関係を嫌った民主党議員グループの反対に直面して難しいとの見方が広まり、代わりに元中央軍司令官のLloyd Austin退役陸軍大将の名前が急浮上していると報じています

一方で元軍人の場合は、国防長官に就任するには退役後7年以上経過(陸海空軍長官に就任するにも5年以上)していることが必要で、Lloyd Austin元大将がこの規定を満たしていないため、国防長官に就任するには、上下院の過半数の賛成と大統領署名が必要な「waiver:法律の適応除外」承認が求められるが、議会がそれを許す雰囲気にはないと紹介しています

ランプ政権の初代国防長官だったマティス氏は、この「waiver:法律の適応除外」承認を得てトランプ大統領就任日から職務を開始できましたが、現在の議会情勢では「waiver:法律の適応除外」承認を得ることも、大統領就任日に国防長官職を開始することも難しいだろうと米メディアは推測しています

11月30日付Defense-News記事によれば
Flournoy.jpeg国防長官最有力で初の女性国防長官誕生かと期待されていたFlournoy女史は、軍需産業の幹部を務めた過去や政策担当国防次官当時の姿勢から、民主党の一部議員から反対されており、Jeh Johnson元国土安全保障長官や元軍人のTammy Duckworth上院議員の名前が浮上していた
そんな中、2016年に中央軍司令官を最後に退役したLloyd Austin元陸軍大将(陸軍士官学校卒)が有力だとのバイデン筋情報が報じられ、大きな話題となっている。一方で、マティス氏のように退役後7年経過の「waiver:法律の適応除外」承認を得ることは難しいだろうと言われている

Mattis4.jpgマティス氏が「例外」を認められたのは、米議会から人物見識とも申し分ない人物だとの高い評価を得ていた例外的人物であったことに加え、トランプ大統領が安全保障に関して「素人」であることから、マティス氏が必要だとの雰囲気が醸成されたからである
それでも「例外」承認投票では、上院で81-17ながら、下院では民主党議員が36名しか賛成しない268-151で認められた経緯があり、民主党重鎮が「今回だけだ」または「シビリアンコントロールを冒すもので許容できない」などの声を当時上げており、トランプ政権で文民ポストに元軍人が多数配置されたことを批判してきた民主党が、再び「例外」を認める可能性は低いと見られている

Austin.jpgまた次期政権の国防長官人事に関し専門家は、マティス氏がトランプ大統領就任日に「例外」認証を得て国防長官に就任できたのは、共和党が両院で過半数を確保していたことが大きく、バイデン大統領が就任日に国防長官候補者を議会に推薦することになろう状況とは環境が全く異なるとコメントしている
国防省の機構上は、統合参謀本部から制服組の意見を吸い上げ、国防長官室の文民官僚が総合的に判断して政策を立案遂行する形になっているが、マティス国防長官は制服組の意見をに耳を傾ける傾向が強かったこともあり、また国防長官室に元軍人が増えてシビリアンコントルールが危ういとの声が各方面で大きくなっている
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ほぼ全ての次期政権閣僚予想で国防長官最有力候補だったMichèle Flournoy元政策担当国防次官が、今になって「危うい」状態になっているのには驚きですが、大統領選挙を通じて生じた政党内の「貸し借り」など、様々な要因が絡む政治の裏側を感じさせます

Austin2.jpgちなみにLloyd Austin元中央軍司令官は、約50億円を投入した対ISのためのシリア反政府勢力教育訓練を米軍として担った当時の中央軍司令官でしたが、当時のマケイン上院議員に「結果として、養成した要員が何名ぐらい前線でISと戦っているのか?」と質問され、「4-5人です」と正直に回答してマケイン議員から「30年上院軍事委員会にいて、こんなにばかげた話を聞いたことがない」と酷評され大きく報じられた方です

ちなみにまんぐーすは、Lloyd Austin元中央軍司令官を信念をもって前線の現実を語った勇気ある人物だと思いますが、それ以上は知りません。また元軍人が国防省内で増えても、それが直ちにシビリアンコントロールの問題だとは思いませんが

バイデン政権の国防長官最有力候補フロノイ女史の思考
「必要な国防政策を語る」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2020-08-12
「米議会で中国抑止を議論」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2020-01-17

「バイデン政権で国防政策はどう変わるのか」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2020-11-09

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6年前のCSBA提言:台湾新軍事戦略に学ぶ [ふと考えること]

6年前の記事ですが、参考にして日本も考えるべき!

CSBA提言の台湾新軍事戦略に学ぶ
その1:総論http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27
その2:各論:海軍と空軍へhttp://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27-1
その3:各論:陸軍と新分野http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27-2

CSBAの台湾への提言総論
Taiwan-CSBA.jpgCSBAの情勢認識→台湾が現方針で今後国防費を増加しても通常戦で中国に勝利できない。台湾軍事戦略の中核は「時間稼ぎ」と「戦いの長期化」だ。不正規戦を追求せよ。→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27 日本も真剣に考えよ!

CSBA提言の細部→ゲリラ的「海洋拒否」では、8隻の通常型潜水艦よりも、42隻のミニ潜水艦と1800発の対艦巡航ミサイルと攻撃的な機雷を装備せよと提言。安価で自国調達可で効果的http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27-1

台湾空軍には、最新F-16でなく、大量の地対空ミサイルと敵を欺く「隠す、見せかける」手法を提言。中国航空戦力の完全撃破する必要はなく、継続的に中国に対処のコストを担わせよと。日本も学べ!→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27-1

Taiwan-China.jpgCSBAによる台湾への提言→「見えざる戦い」を躊躇するな。中国軍の指揮統制、通信、ISR、戦果確認能力等を攻撃して破壊することの是非について、米軍のように悩む必要はない。国の存亡がかかっているのだからhttp://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27-2

CSBA提言の肝部分補足→現存する台湾国防予算計画額を基礎に、予算面で実現可能性のあるオプション。また自国の技術で実施可能で、米国の意向に左右されない。防御的でもあり、中国の反発も比較的少ない施策http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27-2

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7年前のクリスマスイブ [ふと考えること]

10年以上前の記事です
派閥のリーダーを辞任して勢いのなくなった石破茂氏ですが、防衛庁長官として発表した平成16年度版(2004年)防衛白書の巻頭言は、官僚の作文でない思いのこもった自筆文章として話題を呼びました。グッドジョブだったと思います
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Ishiba.jpg平成16年度版(2004年)の防衛白書は、防衛省(当時は防衛庁)発足50周年にも当たったことから、当時の小泉首相の挨拶が巻頭を飾るなど、半世紀を振り返る内容を含む白書として例年とは少し異なっていました。

しかし・・・何よりも石破防衛庁長官(当時)の挨拶に当たる「刊行に寄せて」が大きな注目を集めました。それは、その内容がこの種の出版物の冒頭に見られる「官僚の作文」ではなく、大臣自らが筆を執ったと思われる内容だったからです。

冒頭から全体の1/3を引用すると・・・

2003年12月24日イラク復興支援特別措置法に基づきはじめて派遣される航空自衛隊輸送機部隊の編成完結式が、最高指揮官である小泉純一郎内閣総理大臣臨席のもと、小牧基地において執り行われた。
●世間の多くの人々にとって、一年で最も楽しみな日のひとつであるこの日に、多くの若い隊員たちに厳しい任務を与える行事を行うことに、私は心の中である種のすまなさを感じていた

IraQC-130.jpg●編成完結式後に行われた壮行会において、私はできる限り多くの隊員と言葉を交わし激励をするため、会場内を回っていた。そのとき、ある若い隊員が私の手を握って、「総理の訓辞を直接聞き、こうして長官から激励してもらえる、私にとって今日は人生最高のクリスマスイブです。立派に任務を果たしてきます」と言ってくれた
私が防衛庁長官になって以来、最も感激した瞬間であり、このことを一生忘れないと思う。この日本にはこのような若者がいるのだそしてこのような人々の集団が自衛隊なのだ。私はこの時期に防衛庁長官であることを心から誇りに思ったことであった。

●また、去る6月6日、イラク・サマーワにおいて立派に任務を果たし帰国した陸上自衛隊第一次派遣隊の慰労会においても、同じ感激を味わうことができた
Iraqsamawa.jpg●未だ危険の存在するサマーワの地において、いかに現地の人々の心を捉え、いかに安全に任務を遂行するか、そのために彼らは筆舌に尽くしがたい努力をし、日本の国益の実現、国際社会の一員としての責務の遂行、イラクの人々の期待に応えること、そして日米安全保障体制の信頼関係の強化、というイラク派遣の諸目的を見事に達成したのであった。

●我々自衛隊に対する評価は近年、国内外において飛躍的に高まっている。ある世論調査によれば、自衛隊に対する国民の好感度は、20年前の2倍の70%弱にまで達し、私の長官室を訪れる各国元首や国防大臣たちも、極めて高い讃辞を寄せてくれている。

●イラクのみならず、それはゴラン高原やインド洋、さらには東ティモールにおいて、過酷な環境の中、日本の平和への願いと善意の実行者として隊員たちが活動していること、そして国内においても国の独立と平和、国民の生命・財産を守るため、服務の宣誓を誠心誠意実行している隊員諸官の努力を、国内外の人々が正当に評価してくれたことの証しである。

●しかしながら我々は決してこれに満足すべきではない・・・・
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あれから7年・・・何が前進し、何が変わらなかったのか・・・。変えようとしなかったのか、変えるのを拒んだのか・・・。
あの時のクリスマスイブ・・皆様はどのようにお過ごしだったでしょうか・・・・。

平成16年(2004年)の防衛白書
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2004/2004/index.html

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コロナのワクチン優先接種対象を如何に決定するか [ふと考えること]

米国の「Operation Warp Speed」責任者が語る
議論百出不可避な難問に挑む姿勢を語る
まず大方針は「政治的な関与を排除する」

COVID-19 vaccine2.jpeg6日、トランプ大統領からコロナワクチン完成時のワクチン配分や接種要領、接種優先順位を司る「Operation Warp Speed」責任者に任命されているMoncef Slaoui博士が、検討状況について語り、「Operation Warp Speed」の重要事項を決定する第3者的な科学的会議体(independent scientific summit)の立ち上げに取り組んでいる段階で、まだ具体的な決定は行っていないと述べつつ、原則的な考え方を披露しました

「Operation Warp Speed」はSlaoui博士をトップにし、ロジの専門家である米陸軍マテリアルコマンド司令官のGus Perna大将をCOO(業務執行責任者)に据える体制で5月にスタートしていますが、Slaoui博士はロンドンに本社を置く世界有数の規模を持つグローバル製薬企業「GlaxoSmithKline」の前トップだった人物だそうです

日本でも「コロナワクチンを1.2億回分確保した」との政府発表があったりしますが、3か月から半年程度継続する効力を得るには2回程度以上の接種が必要とも言われており、「誰を優先し、どのように接種を進めるか」は議論百出不可避な難問であり、「総論賛成、各論反対」の課題に直面する前に、今から考えておくご参考にご紹介します

10日付Military.com記事によれば
Slaoui.jpegシンクタンクAEIからの音声配信でSlaoui博士は、まだ「Operation Warp Speed」の初期段階にあると説明し、一部で政府関係者が語ったと報道されている、軍人や高齢者や特定グループが優先接種を受けるとの情報を否定した

ただ同博士は、国立衛生研究所のFrancis Collins所長等と議論を続けてきたことを紹介しつつ、「このきわめて重要で緊要な(接種優先順位の)問題について、現時点で明確に私が言えるのは、この問題が政治的な意図を基に決定されてはならないという点である」と述べた
そして同博士は「米国の学際的な英知を集めた会議体で、疫学的、倫理的、生物学的な面から、如何に国民にベストなワクチン提供を行うかを議論する」、「ワクチン配分に関する、科学的で第三者的な知見の創出と提供に尽力する」と説明した

COVID-19 vaccine.jpeg更に同博士は、「2021年の2月末までに、米国のリスク国民に免疫を提供できる十分な量のFDA認可ワクチンが入手できることを願っている」、「事実とデータがすべてであり、いつワクチンが完成して入手できるか、10月かもしれないし、11月か12月になるかもしれない」
そして「これが現時点での答えである。また私個人としては、私が不適切だと考えることを強制されたなら、私は直ちに辞任するつもりでいる」とも言及した

6月に匿名の政府関係者は、「連邦政府機関として我々は、弱い立場の人、ワクチンが必要でも金銭的に手が届かない人でも接種が受けられるようにすることが役割であり、社会インフラにとって不可欠な人、国防に従事する人にもワクチンを提供することが我々の義務だと感じている」とメディアに発言していた
COOのGus Perna大将は任命された5月に、例えば数百万回分のワクチンを2021年年初までに梱包し、輸送し、配分する業務は膨大な労力を要する任務であるが、「不可能ではない。米国民と海外の同盟国に貢献したい」と語っていた
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COVID-19 2.jpeg医療従事者への優先接種に異論はないでしょうが、重要な社会インフラ関係者や国防関係者の範囲は難しい線引きでしょうし、高齢者や持病を持つ人(特に不摂生が原因の病の場合)に優先接種するくらいなら、次の社会を担う子供や若者を優先してほしいと考える意見は少数派ではないはずです

日本経済の原動力となる「働き手」の一群をどのように扱うかも難しいでしょう。職種や業種で区別することは容易ではありませんし、失業者や引きこもり人材、フリーランスの扱いもメディアが騒ぎそうな題材ですし、外国勢力も社会の分断を狙って介入するでしょう

補助金の配分と同じで、マイナンバーの普及が進まない日本では、対象者の特性別把握が難しく、時間がかかる可能も懸念されます。つまらない評論家やタレントの意見を垂れ流されるのにも「耐えられない」感をお持ちの方も多いでしょうし・・・

「コロナで安全保障環境は激変する」
https://holyland.blog.ss-blog.jp/2020-05-25 

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再び「玉音放送」を読む [ふと考えること]

8月16日までは夏休みで更新なしです。不定期更新はあるかも

8年前の記事ですが・・・この季節にあらためて・・・
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Termination_War1.jpg本日は、終戦の詔勅たる「玉音放送」(1945年(昭和20年)8月15日正午)の全文を改めて嚙み締めたいと思います。「原文」、「口語訳」、「英文訳」の対比でご覧ください
恥ずかしながら、まんぐーすは全文を通して読んだことがありませんでした。高尚な表現で綴られており、原文を読んでも理解できなかったと思いますが・・・。

そんな中、本年8月号のAirforce Magazineが「Hirohito’s “Jewel Voice Broadcast”」とのタイトルで英語版の「玉音放送」全文を掲載し、事前録音されていたレコード盤を陸軍一部が奪取粉砕を試みたこと、レコード盤を洗濯物の中に隠して難を逃れたこと等の逸話と共に紹介しつつ、その出来栄えを「傑作」(a masterpiece of understatement)と表現しています

米国に言われたからではありませんが、「口語訳」を頼りに読んでみると、いろいろご意見は御座いましょうが、改めてその素晴らしさが胸にしみます。「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」の部分だけがよく取り上げられますが、全体を是非、ご覧ください

なお英語版は、国際放送(ラジオ・トウキョウ)で平川唯一が厳格な文語体による英語訳文書を朗読し、国外向けに放送したようで、この放送は米国側でも受信され、1945年8月15日付のニューヨーク・タイムズ紙が全文を掲載しました。

口語訳:塚原キヨ子 「満州引き揚げ回想記」より 
 → http://homepage1.nifty.com/tukahara/manshu/syusensyousyo.htm
英語訳:Airforce Magazine「Hirohito’s “Jewel Voice Broadcast”」
 → http://www.airforce-magazine.com/MagazineArchive/Pages/2012/August%202012/0812keeper.aspx
ウィキペディア「玉音放送」解説
 → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81
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朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

Termination_War2.jpg私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
After pondering deeply the general trends of the world and the actual conditions obtaining to our empire today, we have decided to effect a settlement of the present situation by resorting to an extraordinary measure.
We have ordered our government to communicate to the governments of the United States, Great Britain, China, and the Soviet Union that our empire accepts the provisions of their Joint Declaration.


抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
To strive for the common prosperity and happiness of all nations as well as the security and well-being of our subjects is the solemn obligation which has been handed down by our imperial ancestors, and which we lay close to heart. Indeed, we declared war on America and Britain out of our sincere desire to ensure Japan’s self-preservation and the stabilization of East Asia, it being far from our thought either to infringe upon the sovereignty of other nations or to embark upon territorial aggrandizement.


然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル

ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
But now the war has lasted for nearly four years. Despite the best that has been done by everyone—the gallant fighting of the military and naval forces, the diligence and assiduity of our servants of the state, and the devoted service of our 100 million people—the war situation has developed not necessarily to Japan’s advantage, while the general trends of the world have all turned against her interest.
Moreover, the enemy has begun to employ a new and most cruel bomb, the power of which to damage is indeed incalculable, taking the toll of many innocent lives.


而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

Termination_War3.jpgなのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。
Should we continue to fight, it would not only result in an ultimate collapse and obliteration of the Japanese nation, but also it would lead to the total extinction of human civilization.
Such being the case, how are we to save the millions of our subjects or to atone ourselves before the hallowed spirits of our imperial ancestors? This is the reason why we have ordered the acceptance of the provisions of the Joint Declaration of the Powers. 


朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ

私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
We cannot but express the deepest sense of regret to our allied nations of East Asia, who have consistently co-operated with the empire towards the emancipation of East Asia. The thought of those officers and men as well as others who have fallen in the fields of battle, those who died at their posts of duty, or those who met with untimely death and all their bereaved families, pains our heart day and night.
The welfare of the wounded and the war sufferers, and of those who have lost their homes and livelihood, are the objects of our profound solicitude.


惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
The hardships and sufferings to which our nation is to be subjected hereafter will certainly be great. We are keenly aware of the inmost feelings of all you, our subjects.
However, it is according to the dictate of time and fate that we have resolved to pave the way for a grand peace for all the generations to come by enduring the unendurable and suffering what is insufferable.


朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
Having been able to safeguard and maintain the structure of the imperial state, we are always with you, our good and loyal subjects, relying upon your sincerity and integrity. Beware most strictly of any outbursts of emotion which may engender needless complications, or any fraternal contention and strife which may create confusion, lead you astray, and cause you to lose the confidence of the world.


宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ 爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

Termination_War4.jpgぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。
Let the entire nation continue as one family from generation to generation, ever firm in its faith of the imperishableness of its divine land, and mindful of its heavy responsibilities, and the long road before it.
Unite your total strength to be devoted to the construction for the future. Cultivate the ways of rectitude; foster nobility of spirit; and work with resolution so that you may enhance the innate glory of the imperial state and keep pace with the progress of the world.
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爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ(あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ)
→この部分の英訳にあたる部分は見当たりませんでした。

なお、この玉音放送で終わりを迎えた戦争の、日本国としての正式名称は未だ未確定です。
毎年8月15日に武道館で開催の戦没者追悼式で、天皇陛下や総理が「先の大戦」と表現をするのはこのためです。詳しくは下記の記事で

「あの戦争」をなんと呼ぶべき→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-12-26

英霊の安らかならんことを祈念しつつ・・・

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「あの戦争」をなんと呼ぶべき・・・ [ふと考えること]

約10年前の記事ですが、状況に変化なし・・・
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「開戦から70 年、真珠湾攻撃以降の戦争呼称は分裂のまま」

syouji.jpg呼称に関する現在の政府の見解は、質問主意書に対する答弁書で明らかにされており、「大東亜戦争」、「太平洋戦争」共に戦後法令上の定義・根拠はないとされている
●その結果、天皇陛下の「お言葉」、総理大臣の演説・談話など公的な場では、「先の大戦」、「過去の戦争」、「あの戦争」など曖昧な表現が使われている

防衛省防衛研究所、定期的にwebサイトに掲載する「ブリーフィング・メモ」に、同研究所で戦史部門のトップを務める庄司潤一郞氏(2011年当時)が「表題」の一考察を寄稿されています。
A4に4ページ余りの内容ですが、如何にも歴史に積み残された課題のような気がしますので、年末にじっくり考えてみたいテーマとして取り上げました。

はじめに前振り
●開戦時の戦争目的の不統一、戦後の米国による占領政策、そしてその後の日本国内における戦争を中心とする近現代史に関する歴史認識の「政治化」の影響を受け、呼称が統一されていない。
PacificWar.jpg●「太平洋戦争」、「大東亜戦争」、「15 年戦争」、「アジア・太平洋戦争」など様々な呼称が使用され、いまだ決着がついていないのが現状である
●現在、一般には「太平洋戦争」が新聞・雑誌、教科書など広く普及しているものの、近年、学界や識者の間においては、呼称の使用に関して注目すべき変化が見られる。それは、「アジア・太平洋戦争」の台頭、「大東亜戦争」の「復活」と、それにともなう、「太平洋戦争」の衰退である。
●それは、「太平洋戦争」が、戦争の実体を、特に地域面から考慮した場合、やはり致命的な問題を抱えているからであろう

「アジア・太平洋戦争」
pacificwar3.jpg●昭和60 年、木坂順一郎が正式に提唱したことにより、広まっていった。木坂は、「太平洋戦争」は米国が命名したもので中国戦線の比重を過小評価する恐れがあり、「大東亜戦争」は日本の侵略を正当化するため、二つの呼称を回避した。
●「東アジアと東南アジアおよび太平洋を戦場とし、第二次世界大戦の一環としてたたかわれた戦争という意味と、日本が引き起こした無謀な侵略戦争への反省をこめた
●近年では、特に「進歩派」を中心として、「太平洋戦争」や「15 年戦争」から「アジア・太平洋戦争」に変更する例が見られる。

この呼称についての議論は、
まず、アジアでの戦いと米国との太平洋の戦いは一体・密接不可分な関係にあったとの「連続性」を強調する呼称である、
第2に、アジア及び太平洋における日本の政策の「連続性(一貫性)」と「侵略」を強調する歴史観が含蓄されている点への違和感、
第3に、しかしアジアはちょっと広すぎないか?アフガニスタンやトルコまで戦域だったわけではない、との意見があるため、浸透していない面がある

「大東亞戦争」
PacificWar2.jpg●「大東亜戦争」使用の根拠は多岐にわたるが、主なものは第一に、「大東亜戦争」が、閣議(大本営政府連絡会議)決定という「合法性」を有している日本の正式な呼称であるという点である。さらに、GHQ の「神道指令」による「大東亜戦争」の禁止もポツダム宣言受諾で無効になったとの解釈もある。
第2に、第二に、「大東亜戦争」には、大東亜新秩序の建設といったイデオロギー的含蓄はなく、単なる地理的呼称で、地域的に戦争の実態によく適合しているとの主張である

この呼称への感情の背景には、戦争目的をめぐる混迷も存在していた。すなわち、戦争目的は自存自衛で、「大東亜戦争」は当時海軍が提案した「太平洋戦争」と同様に地域的呼称なのか、はたまた大東亜新秩序建設こそが戦争目的なのかといった議論である。

興味深いことに、欧米の研究者の間では、「大東亜戦争」に対する抵抗感は少ない。米の歴史家は、「地域的観点から、「第二次世界大戦」はあまりに広く、「太平洋戦争」は狭いため、「いささかきまり悪いものの、『大東亜戦争』という用語がやはり、日本がインド洋や太平洋、東アジアおよび東南アジアで繰り広げようとした戦争を最も正確に表現している」と指摘している。

おわりに
Bouken.JPG●「大東亜戦争」の由来が、「大東亜新秩序の建設」という政治目的ではなく、単なる地理的呼称であるとするならば、批判と対立の根拠であったイデオロギー色のない呼称ということになる
●『大東亜』をたんなる戦域と読みかえ、例えば東南アジア研究者の倉沢愛子、田原総一朗、長谷川煕、日本外交史研究者の松浦正孝など、肯定論とは異なる立場から「大東亜戦争」を使用する識者が目立っている
●肯定論という戦争観ではなく、歴史的用語として「大東亜戦争」は復権しているのであろうか
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最近余り考えなかった話題ですが、忘れてはいけない課題です。

軍事力のあり方・適用法
「不同意の共有が第一歩」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-09-22
「軍事力使用の3原則」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-03-07
「米外交の軍事化を警告」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-06-15-1
「軍事と外交が一丸となって」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-02-03
「禅の思想で対テロやCOINを」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-07-31

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今も米軍の戦史教材である日系人部隊442連隊 [ふと考えること]

4年半前の記事ですが
今も米軍の歴史の教材である日系人部隊442連隊を学ぶ
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Abe-Obama2.jpg2016年12月28日朝、安倍首相とオバマ大統領がそろって真珠湾を訪れ、それぞれの所信を語って同盟関係の発展を期す契機としました。

私が約10年前に戦艦アリゾナメモリアルを訪れた際も多くの人が訪れており、船で慰霊施設に渡るのに時間によっては2~3時間待ちが普通だと伺いました
陸地側の施設には真珠湾攻撃の展示資料館が設置されていましたが、淡々と史実を伝え、攻撃した日本軍側の事も驚くほど丁寧に紹介していたことが印象に残っています

今回の安倍総理の訪問を通じ、当時のハワイ在住日系人が遭遇した運命や厳しい現実を伝える報道も行われましたが、同時に現在のハワイ州知事が日系人であることなど、日系人の活躍が紹介されたのは良い相乗効果と言えましょう

Abe-Obama.jpgただ、既に両国首脳の真珠湾訪問への思いは大きく報じられていますが、オバマ大統領が政治の道を志すに至った過程で、少なからぬ影響を与えたのが日系人であったことはほとんど知られていないと思います

本日は、真珠湾攻撃や太平洋戦争が生んだ米国内「日系人」社会の現実と日系人だけで編制された伝説の442連隊、そして同連隊に所属して片腕を失いながらも日系人の上院議員を50年以上務め、多くの米国人から尊敬を集め、オバマ大統領に多大な影響を与えた「ダニエル・イノウエ氏」を振り返りつつ、「伝説の日系人部隊」第442連隊を再び学びます
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過去記事
故イノウエ上院議員を偲び、442連隊を学ぶ
http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2012-12-19

442Inoue2.jpg2012年12月17日、ハワイ選出の上院議員、ダニエル・イノウエ氏が88歳で亡くなりました
第2次世界大戦時には、日系人のみで編成された「伝説」の第442連隊員で欧州を転戦し、片腕を失った人物でもあります。

その後今日まで50年間上院議員を務め、日米関係の発展に尽力し、米国防省の退役軍人施策にも心血を注いだ、日米双方の安全保障関係者に取って忘れ難い存在でした。

訃報が伝えられて以来、各方面からその死を悼むメッセージが出されていますが本日はオバマ大統領(涙ぐみながら)、パネッタ国防長官とデンプシー参謀総長の追悼の言葉を紹介したいと思います。
そしてまた、442連隊について語らせて下さい・・

パネッタ国防長官は・・
Panettatexas.jpgアメリカンドリームと偉大なる時代のヒーローの姿を体現した人である。
伝説の第442連隊員として壮絶な打ち合いの中で彼が見せたリーダーシップと熱情は、彼の片腕を奪い、名誉勲章を与えた。しかしその後の彼のリハビリへの取り組みと彼の職歴は、現在の負傷兵をも勇気づけている

●上院議員として、彼は最も頼りになる国防省の応援者のひとりであり、いつの時代にも前線兵士を勇気づけてきた。私はクリントン及びオバマ政権下で彼と緊密に連携を取りながら仕事ができたことを誇りに感じている
●彼のお陰で成し得た米軍兵士やその家族、更にハワイの人々の生活の向上は永遠に語り継がれるだろう

デンプシー統合参謀本部議長は・・
DempseyCapstone.jpg●偉大なる世代の一員として、彼は人生で最も良い時期を欧州の専制政治に立ち向かうため捧げた名声轟く第442連隊の一員として。
●彼は戦いで片腕を失い、国家への奉仕を十分に努めたが、国家への貢献はそれだけに止まらなかった
●(上院議員として)彼が行ってきた退役軍人への絶え間ない支援、特に教育や医療分野への努力は、無数の兵士やその家族に今後も多大なる貢献をするだろう

23日、ハワイでの葬儀にオバマ大統領も F-22初の追悼飛行も
Obama Inoue2.jpgF-22 Missing Formation2.jpg








21日、ワシントンDCの教会でオバマ大統領は・・
●私が初めてイノウエ上院議員を見たのは11歳の時、ウォーターゲート事件の審議をテレビで見ていた時です。
●白人の母と黒人の父の間に生まれた私は、インドネシアとハワイで育ち、この世で生きていくことがそう単純でないことに気づき始めていました

obama-inoue.jpgそんな時です、彼を見たのは。この上院議員は力強く、業績を積んだ人物でしたが、当時一般的に考えられていた上院議員像とは異なりました
●そして彼が全米から尊敬を集める様子から、私は私の人生で何が成し得るかのヒントを与えてくれました

●この人物は10代で自ら志願して国に命を捧げる覚悟をしました。それも仲間である日系米国人が敵性外国人扱いされる中で・・・。この人物は米国を信じました。米国政府が必ずしも彼を信頼していない時にさえ・・。
●このことは私に何かを伝えてくれました。力強い何か・・当時は言葉に出来なかった・・強い希望の感覚です。イノウエ氏こそが、私に初めて政治的なインスピレーションを与えた人物と言って間違いありません。
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イノウエ議員を語るに欠くことができない史実・
「第442連隊」について語らせて下さい

442Battle.jpg第442連隊は「Nisei(二世)」と呼ばれる日系人で構成されていた部隊です。第2次対大戦中、米本土内では差別的な扱いを受け強制収容所に送られていた日系人ですが、彼らは「米国人たる日本人」の存在を示すため志願して戦時下の米軍に入隊しました。

当初は米軍幹部も扱いに迷ったようですが、その優秀さから欧州戦線で大活躍し、トルーマン大統領自らが7枚目となる「大統領感状」を授与に赴くまでに至った伝説の部隊です。
その戦いの激しさは死傷率314%、つまり定員約3千人の部隊で述べ9500人の死傷者を記録したほどで、米軍内では抜き出た部隊でした。

442連隊の奮闘が米国中に知られ、同時に米国内での日系人に対する差別的処遇が明らかになり、ルーズベルト大統領が過ちを公式スピーチで謝罪して442連隊の奮闘を讃えました。442連隊は、まさに「体を張って」日系人の名誉回復に大いに寄与しました。
しつこいですが・・・死傷率312%・・米国陸軍史上最大の勲章数を誇る部隊です。
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映画「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」紹介文より
2010年11月に日本公開の映画)
442F.jpg第2次世界大戦時に日系人で編成された部隊・アメリカ陸軍442連隊に迫るドキュメンタリー。人種差別と戦いながら、父母の祖国・日本と戦う苦悩と葛藤(かっとう)を抱えた兵士たちの揺れる心を、当事者たちの証言でつづっていく。名誉のために命を懸け、偏見と戦った兵士たちの真実に注目だ。

本作は、2010年マウイ・フィルム・フェスティバル<観客特別賞>を受賞した。7月末ロサンゼルスでの公開以来驚異的な動員数を記録し、現在も全米各地で上映が続いている。

YouTube予告編http://www.youtube.com/watch?v=tbO6K_Ig7Y4
Yahooコメント欄http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id337918/
紹介サイトhttp://navicon.jp/news/9842/
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第2次大戦後、60年以上が経過したある日・
2011年11月2日、442連隊へ米国民最高の「議会勲章」授与

442Mullen.jpg2011年11月2日、第2次大戦中の10大戦闘に数えられる「失われた大隊(Lost Battalion)救出作戦」の65周年記念行事がヒューストンで行われ、救出された141連隊の兵士と救出した「米国陸軍史上最大の勲章数」を誇る442連隊戦闘団の面々が集いました。
写真のようにマレン統合参謀本部長議長(当時)も参加し、その栄誉をたたえました。

「失われた大隊救出作戦」とは・・
1944年10月25日、ドイツ軍に包囲されて孤立した約230名の141連隊を救出せよとの命令が時のルーズベルト大統領から出され、これに応じた442連隊戦闘団がフランス東部ボージュの森で800名余りの犠牲者を出しながらも、同30日に任務を達成したとの話です。

442smile.jpg救出後の歓喜の中で、救出された側の少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊なのか」と言ったため、442部隊の少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ」と掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されています。
なおこの作戦は、第2次大戦の10大戦闘として米陸軍で今も教育されています。

他にも、イタリア戦線で数カ月かかっても他部隊が攻略できなかった山岳要塞を僅か20時間余りで攻略した逸話、激闘と活躍を聞いた将軍が442連隊を訪問して激励の言葉を述べようとしたが、負傷者が多くて中隊規模の兵士しか整列できず将軍が絶句した話、60年以上が経過して今もなお、解放してもらったフランスの町が毎年兵士を読んで記念行事を行っていること等々・・・話は尽きません

442GoForB.jpg戦争中に442連隊は18000個もの勲章を授与されており、その数自体が他を圧倒しているのですが、戦後日本への感情を廃して見直しがなされ、多くの勲章格上げがなされたとのことです。
連隊ワッペンに記されたGo for brokeは「当たって砕けろ」の意味だそうです。まさにそのとおりの働きでした。
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マレン統参議長は授与式スピーチで・・
442MullenSp.jpg●442連隊の逸話は、聞く人全てを奮い立たせ、私に多くのことを教えてくれる。
●彼ら日系米国人兵士は、その家族を米国により収容所送りにされながら、愛国心を示し、証明しようとしたのである。
激烈な肉弾戦は塹壕一つ一つを奪いあう熾烈なもので、それが最終的な敵の混乱散乱に繋がっている。

●私は、これらを可能にした442連隊兵士の心中を察するとき、真に謙虚になって皆さんとこの教訓を学び、共にしたいと思う。
●あらゆる側面に置いて、我々は米国建国の理念である、豊かで多様性に溢れた国作りを追求していかなければならない。
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442Inoue.jpgイノウエ議員は上で紹介した映画に、主要な語り部として登場しています
淡々と当時を振り返りつつ、聞き手の質問に丁寧に答えるのですが、インタビューの最後にスタッフを見送る際、イノウエ議員をよく知らない観客は「片腕がない」ことにはじめて気づきます

劇場内に「あっ・・」と言う悲鳴にならない声が上がったことを覚えています。合掌

第442歩兵連隊を描いた70分のドキュメンタリー映像
https://www.youtube.com/watch?v=IpjaQ8lJqmY

日系人と442連隊
「イノウエ議員と442連隊」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2012-12-19
「映画公開と442部隊の魂」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2009-11-03
「米軍トップが最敬礼」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2009-11-04
「空軍輸送機にイノウエ議員の名を」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-08-28-2

米国防省で日系人が活躍
「女性カトウ大佐が核戦争下の通信装置を」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2015-10-29
「日系女性が国防省ITを統括」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-04-30
「普天間担当:日系ナツハラ氏」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2012-05-13-1

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同盟国支援下での戦いの厳しさを教えてくれた韓国の巨星没す [ふと考えること]

白善燁:まんぐーすが最も尊敬する韓国人です
勲一等瑞宝章を授与された韓国退役軍人

白善燁 Whity.jpg7月10日、朝鮮戦争の韓国軍の英雄であり、米軍に最も信頼された韓国軍人であり、韓国で勤務する多くの自衛官がお世話になった恩人であり、同盟国(米国)の支援を得て戦うということがどういうことなのかを教えてくれた師でもある、白善燁(ペク・ソニョプ)退役大将(交通大臣・仏大使等)が鬼籍に入られました

99歳の大往生でしたが、日本の植民地下の満州士官学校を卒業し、親日派として知られていたことから、現在の政権下では批判的に扱われ、本来は国の英雄にふさわしい「国立顕忠院」に埋葬されることになっていたのですが、格の低い「大田顕忠院」に埋葬されることになったという現実に直面しています

白善燁 Whity 4.jpg韓国政府のこのような扱いに憤懣やるかたない市民も多く、ソウル中心部に市民団体が設けた献花台には、幅広い年齢の人々が弔問に訪れているとの報道に接し、少しは救われた思いでいます

とても簡単に書き表すことが出来ないのですが、以下では、白善燁退役大将(1920年ー2020年)の朝鮮戦争当時のご功績を中心に、簡単にご紹介いたします

1950年6月に北の侵攻により朝鮮戦争が勃発した際、若干29歳の第1師団長であった白大佐は、ソウル攻防戦を韓国軍として最後まで戦い、厳しい敗走の中で米軍から誤爆を受けて被害を被る等の苦難の中で南下し、8月2日から最後の拠点となったプサン防衛戦(多富洞の戦い)を戦うこととなる
北の猛攻を受け、大隊長2名を失う苦戦で兵士の敗走が始まる中、自らもマラリアの高熱で苦しむ中、兵士を集めて「我々にはもう退がる所はないのだ。ここを死守しなければならない。我々を助けに来てくれた米軍が谷底で戦っているではないか。信頼してくれている友軍を裏切ることが韓国人にできようか」訓示し、自ら銃剣突撃の姿で先頭に立ち、反撃のきっかけを作った

白善燁 Whity 3.jpgこの姿は米軍指揮官達を感激させ、米軍の韓国軍に対する信頼感を高めた
プサン防御を果たし、9月15日に仁川上陸作戦に国連軍が成功して戦況を巻き返すと、今度は平壌への一番乗りを目指す進軍が始まった。韓国軍が一番乗りを果たさねば韓国人の面目が立たないと決意した白准将は、幹線道路が米軍の大型車両で埋まって進めないと見るや、悪路の裏道をもろともせず、昼夜を分かたぬ進軍で平壌一番乗りを果たし、米軍に存在感を示した

平壌解放後さらに北進する過程で、敵捕虜への尋問から「中共軍」の大規模介入を察知し、直ちに米軍にも情報を提供したが米軍は直ぐには信じず、米軍連隊が大損害を受けて初めて白准将情報の正確さを認め、韓国軍への見方を改善させた
この後、「中共軍」の大規模侵攻で国連軍は敗走に次ぐ敗走を強いられたが、白准将の第一師団は常に最後の部隊として敵と戦いながら南下し、38度線付近までの米軍の南下を助けた

白善燁 Whity 6.jpg1951年3月に上官の死亡により、30歳で第1軍団長に少将として就任し、同年7月から始まった休戦会議には、韓国軍と米軍からの強い推薦を受け、若干30歳で韓国軍代表として参加した
北との戦いが落ち着いた後は、光州付近を中心とした韓国南部で勢力を伸ばしていた「共産ゲリラ」の掃討任務を任され、1952年3月までに鎮圧に成功した

52年7月には陸軍参謀総長、かねて戒厳部隊司令官に命ぜられ、53年1月には同陸軍初の大将に32歳で昇進した
1960年5月に退役後は、中華民国(台湾)、中東諸国、フランス、カナダで韓国大使を歴任し、朴正煕政権では交通大臣を務めた。公務を離れた後は、国有の化学・肥料メーカーの社長として1980年まで務めた

1995年、日韓国交正常化30周年に、勲一等瑞宝章を授与される
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プサン防衛の戦い(多富洞の戦い)での、白将軍の訓示の内容が伝えられています

白善燁 Whity 5.jpg連日連夜の激闘は誠にご苦労で感謝の言葉もない。よく今まで頑張ってくれた。だがここで我々が負ければ、我々は祖国を失うことになるのだ
我々が多富洞を失えば大邱が持てず、大邱を失えば釜山の失陥は目に見えている。そうなればもう我が民族の行くべき所はない

だから今、祖国の存亡が多富洞の成否に掛かっているのだ。我々にはもう退がる所はないのだ。だから死んでもここを守らなければならないのだ。
しかも、はるばる地球の裏側から我々を助けに来てくれた米軍が、我々を信じて谷底で戦っているではないか。信頼してくれている友軍を裏切ることが韓国人にできようか

いまから私が先頭に立って突撃し陣地を奪回する。貴官らは私の後ろに続け。もし私が退がるようなことがあれば、誰でも私を撃て。さあ行こう! 最終弾とともに突入するのだ

「東日本大震災」の時もそうでした。福島第一原発の懸念が払しょくされない中、自衛隊が本気で被災地の救援に立ち向かう姿を見て、米軍も本格的に支援の手を差し伸べてくれました

白善燁 Whity 2.jpg外から来援に来てくれた同盟軍の立場になればそうでしょう・・・・。国を離れた遠方の地で、支援先の国の「本気」を確信できなければ、手を差し伸べる気にもならないだろうと・・・・

朝鮮戦争時の白将軍の写真を見ると、米軍将軍達との年齢差が際立ち、どんな感じだったんだろうかと想像をたくましくしてしまいます

白将軍は、今の文在寅政権をどの様にご覧になっていたのでしょうか? そのお気持ちを察するに、複雑な思いに駆られます。合掌

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ONCEMORES(ワンスモアーズ)の歌 [ふと考えること]

こんなご時勢ですので、

本日は、全く趣向を変え、
まったり歌を聴いてみてください・・・

ONCEMORES(ワンスモアーズ)という、カーペンターズをコピーする(Carpenters Tribute Band) バンドの歌です

似ているとか、似ていないとか、
上手いとか、もう少しとか、
色々ご感想はありましょうが、まんぐーすは好きです

その年代の方には、「たまらん」歌だと思うので
押し売りします

歌手はSinonと言う方で、青森出身の方だそうです

青春の輝き(I need to be in love)


遥かなる影(Close to You)


雨の日と月曜日は(Rainy Days And Mondays)



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比大統領は特攻隊の慰霊碑を自費で建立していた [ふと考えること]

1年半前の記事ですが、アジアと日本を考える
マニラでの市街戦は、多くのフィリピン市民を巻き込み犠牲にしましたが
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やっぱりフィリピン大統領は日本をリスペクトか?
出身地ダバオ市での慰安婦像発言に注目
日本の野党議員も見習ってほしい!

各種報道によれば
慰安婦像フィリ.jpg2018年4月27日夜フィリピンの華人団体などが首都マニラに昨年12月に設置した、日本軍占領下(1942~45年)の慰安婦を象徴するという女性像が台座ごと撤去されたことが分かった。

29日、ドゥテルテ比大統領は、地元ダバオで「(設置は)政府の政策ではない」と、撤去に理解を示した。
一方で「私有地への設置は構わない。我々はそれに敬意を払う。表現の自由は大事だ」と語った。

この慰安婦を象徴する像に対しては、マニラの日本大使館がフィリピン政府に、女性像が唐突に設置された経緯などを明らかにするよう要求。1月にマニラを訪れた野田聖子総務相がドゥテルテ大統領に「遺憾」を表明し、河井克行衆院議員が同大統領に撤去を求めていた。

日本政府関係者によると、ドゥテルテ政権は「4月中の問題解決」を約束。撤去作業はマニラ市と公共事業道路省が実施し、女性像の再設置や移転は行われないとの連絡が撤去後、この関係者に入ったという。

Duterte.jpgマニラの日本大使館は、フィリピン政府から27日、女性像を撤去する事前連絡があったとしている。目撃者によると、同日夜にマニラ市職員と名乗る作業員が「下を通る水道管の修理だ」とし、ショベルカーで像を撤去。台座や記念碑板も一緒に持ち去った。

女性像が建てられていた現場は28日、穴があき、幅約2メートル、奥行き約10メートルの範囲が、フェンスやビニールシートで覆われていた。

こんな出来事を受け、ドゥテルテ大統領のルーツに迫る約1年半前の記事を振り返ります。

//////////////////2016年11月7日の記事////////////////////////
ドゥテルテは最初の特攻隊に敬意を表したのか
http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2016-11-06

duterte-J.jpgドゥテルテとは今話題のフィリピン大統領で、米国に対する過激な発言や、中国の習近平と「ガムをかみながら握手」しつつ多額の援助を引き出した興味が尽きない指導者です。
一方で、日本に対する感情は極めて良好で、2013年には米国旅行を希望する家族を押し切り、家族旅行で日本を訪れて長野でのスキーや東京観光を楽しんだ人物でもあります

また、フィリピンでも最悪の犯罪発生率だったダバオの副市長と市長勤める中で、「東南アジアで最も平和な都市」を標榜するまでに治安を改善させた功績が国民に支持され大統領になった人物ですが、そのダバオ市長時代に私財を投じ太平洋戦争時に米国と戦い、フィリピンが米国から独立する基礎を作ってくれた日本人の墓地に記念碑を建ててくれた人物でもあります

duterte-J4.jpgダバオ市と日本人の関係は古く、戦前、貧しかった日本人が約2万人も職を求めてダバオに渡り、紙幣の原料でもあるマニラ麻を栽培して生活しました。この日本人の活動はダバオに産業を興し、ドゥテルテ大統領は日本人がダバオの発展に貢献してくれたと今回の来日で安倍首相に感謝しています。

その他、戦後日本が、フィリピン政府とミンダナオ反政府ゲリラとの橋渡し役を務めてくれたことも評価しているそうです。

更にドゥテルテ大統領は、2013年3月に発生した東日本大震災に際しダバオ市長として海外のどこの自治体よりも早く「震災で、住む家を失ってしまった方は、ダバオで何人でも引き受けます。避難所としてではなく、楽園となるよう市を挙げて歓迎します。ダバオ市で役に立つことがあれば何でもします」と表明してくれていたことが、今回の訪日にあわせて話題になりました

邪推:なぜ10月25日に来日したか?
duterte-J2.jpgドゥテルテ大統領は10月18日~21日に訪中し、20日には習近平首席とスーツ姿で会談したが、その後の合意文書調印式ではガムを噛みながら、しかも途中から居眠りする様子が放映されるなどの態度をしめした
中国主席は、積極的な投資を約束すると共に、欧米が人権侵害とみる麻薬撲滅対策に理解を示すなど、大盤振る舞いの姿勢で「雪解け」を演出したが、南シナ海問題で特に進展はなかった模様

●その後フィリピン大統領は一端帰国し、改めて25日から訪日を開始。到着後の夕食会は岸田外相がホストを勤め、「仕事の具体的話はしていない」とのコメントを残しているが、大いに盛り上がった様子が外交筋から伝えられている
ではなぜ直接中国から日本を訪問せず、一端帰国して25日から訪日したのか。ここでは多くのフィリピン人の心に今も残り、ドゥテルテ大統領が資材を投じて慰霊碑を建立してくれた日本兵の作戦に関係しているのでは・・・との仮設を立てて考えます

Sikisima.jpg1944年(昭和19年)10月25日、日本軍が最初の「特攻隊」を編制して出撃させたのがフィリピンであり、その「敷島隊」5名はフィリピン各地で名前が今も知られ、慰霊行事が今でも行われています
ドゥテルテ氏はダバオに私財で慰霊碑を建立した当初から、毎年娘を必ず連れて慰霊行事に参加していたようです。そして今回の訪日で、米国の植民地から解放してくれ、地元経済の基礎を作ってくれた日本軍と日本人に対する礼を天皇陛下に直接述べるため、10月25日を選んだののではないかと「邪推」しています

岸田外相との夕食会でも、安倍首相との首脳会談でも、ドゥテルテ大統領は祖国フィリピンを代表し、歴史的観点に立って日本への尊敬と感謝の思いを伝え、今後の関係を構築したいと述べたのではないかと推察しています
duterte-J3.jpg●日本政府が今の時代に、特攻隊の精神を讃える外国首脳の話をオープンに出来るはずはありませんが、一方で米国に対するものとは全く別次元の感情を日本に持つフィリピン指導者と、楽しい食事や話が日本首脳は出来たであろうと想像します

●中国への対処を考える上で、邪推したフィリピン大統領の日本への感情と米国への反発が、単純にプラスになるとは思いませんし、東京裁判史観に反する「特攻隊」の話題化が対中国の米国同盟にプラスであるはずもないでしょう
●それでも、東京裁判史観で縛られた現代日本人の日本軍への偏った視線が、アジアに広く残る日本軍への極めて高い評価に向く切っ掛けになればと思います

最近のフィリピン関連記事
「露とアジアの関係を2点から」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2017-10-23
「東南アジア3か国が共同警戒へ」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2017-10-18
「比が米軍に南シナ海共同警戒中止を通告!?」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2016-10-08
「C-130が2機だけ展開」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2016-09-27
「比大統領南シナ海共同を拒否」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2016-09-15-1

「比空軍と米空軍が3日間会議」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2016-09-03
「EA-18G電子戦攻撃機が展開」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2016-06-18
「国防長官が交代派遣発表」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2016-04-16

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次の米海軍トップ確定者が急きょ辞退退役へ [ふと考えること]

5月に議会承認もクリアしていたのに・・・
8月1日に就任する予定だったのに・・・
現職が任期を延長して次の後任探しへ

Moran3.jpg7日、次の米海軍人トップの海軍作戦部長(CNO:chief of naval operations)へ8月1日に就任する予定だったWilliam Moran海軍大将(現在はNo2の副作戦部長)が5月に上院の承認を得ていたにもかかわらず、米海軍トップ就任を辞退し、海軍も退役すると明らかにし、米海軍長官もこの判断を尊重すると述べました

Moran海軍大将は対潜哨戒機P-3のパイロットで、過去31名の海軍作戦部長の中にパイロットは9名いますが、いずれも空母艦載戦闘機のパイロットでしたから、過去に例を見ない異例な職種からの作戦部長選出として大きな話題となり、マイナー職域出身でありながら米海軍トップに推挙されたMoran大将の業績や人柄が、あらためて高く評価され、まんぐーすも4月に取り上げたところでした

「P-3パイロットが初の米海軍トップに」
https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2019-04-12

Bill Moran.jpgそんな期待の新星だったのに、なぜ突然の辞退に退役なんでしょうか? どうやら・・・よろしくない勤務態度(セクハラ)で米海軍司令部勤務から外された中佐から、引き続き仕事上のアドバイスを受けていたことがメール調査で発覚した模様です。その中佐は「public affairs」担当で、仕事面では有能だったようです

非常に残念ですが、議会承認手続き途中で辞任したShanahan臨時国防長官の記憶が生々しい中またもやトランプ大統領ご推薦の人事がとん挫した形となり、独立記念日のイベント関連で批判を受けている政権に、新たな負の話題を提供した形となりました

米海軍は、7月末で退役予定だった現在のRichardson作戦部長を引き続き勤務させ、9月の同作戦部長退役までに別の後任者を推薦し議会承認を得るよう頑張るようです

8日付Military.com記事によれば
Spencer海軍長官は声明で、「Moran大将は、過去2年間に渡り、海軍人としての基準も満たさなかった人物と仕事上の関係を続けていたと申し出た」、「Moran大将の米海軍への真摯な姿勢を称賛する一方で、彼の当該人物との関係には疑問を持たざるを得ず、同大将からの退役の申し出を受理することにした」と説明した
Moran2.jpg●海軍長官は細部に触れなかったが、匿名の関係筋は本件に関し、2017年に現作戦部長らの Public affairs担当だったChris Servello中佐はセクハラで職を解かれ、2018年5月に退役していたが、そのServello氏から職務上のアドバイスを引き続き受けていたことが明らかになったためだと説明した

●Servello中佐(当時)は、2016年の米海軍クリスマスパーティーでサンタ役を務めていたが、酒に酔って若手(女性)士官に「unwanted sexual passes:体を触った」ことでけん責処分を受けていた。
●このセクハラで海軍司令部のPublic affairs担当職をServello中佐は追われたが、その後も、2018年5月に同中佐が退役したのちも引き続き、Moran大将は同元中佐からPublic affairs上のアドバイスをメールでのやり取りで受けていた模様である。

●なおメール上では、Chris Servelloとの名前に言及せずやり取りが行われており、意図的にChris Servello氏との関係を隠そうとしたようにも解釈できる状態だったようである
●匿名の関係者によれば、Spencer海軍長官がこの関係の存在を知ったのは、5月の上院での承認手続きが終了した後であったようだ

Moran4.jpgMoran大将は声明で、「退役願を提出することは痛恨の極みであるが、米海軍人とそのご家族が国家に忠誠を尽くすべく日々を過ごされるに際し、私の進退が何ら障害となることはない」、「私が不適切な人物との関係を維持していたことが、ハラスメントや脅迫のような行為がない職場を醸成すべきとの米海軍の姿勢を否定することでは全くない」と述べている

●Chris Servello氏はMoran大将退役の方を受けメディアに対し、「信じられないし、残念でならない。米海軍にとってteriribleなニュースであり、それ以上申し上げることはない」とコメントした
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厳しいと言えば厳しい判断です。「Public affairs」関連は、細部の事情や経緯を知る専門スタッフの助言が無ければ、将軍や提督レベルが自身の経験だけでは対応できない分野で、米軍外の関係団体やメディアとの関係など、陰で支えるスタッフが極めて重要な役割を担います

セクハラ野郎のChris Servello元中佐ですが、恐らく社交的で、米海軍外の様々な人種の人たちと巧みに関係を気づくのが得意だったのでしょう。皆さんの周りにもそんな人いますよねぇ・・・。人間は紙一重ですから・・・

それにしても・・・トランプ政権では有能な人が次々と・・・

Moran大将の次期海軍トップ推薦を強く支持する報道
「P-3パイロットが初の米海軍トップに」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2019-04-12

惜しまれつつ去った有能な武人たち
「マティス国防長官:最後の言葉」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2019-01-01
「男の辞表:マティス長官に学ぶ」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2018-12-22
「Willson空軍長官が最後に語る」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2019-05-18
「マクマスター大統領補佐官が露を語る」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2018-02-18

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