SSブログ

歴史は繰り返す:ギリシャと通貨統合 [ふと考えること]

euro-map.jpg英国BBCニュースのwebサイト(2月24日付)が、ギリシャに端を発する欧州通貨危機を「繰り返される共通通貨の歴史」と題する記事で取り上げ、「何度も繰り返されてきた歴史」としての視点から紹介しています。
ご存じの方も多いかも知れませんが、勉強のため整理してみました。正に「歴史は繰り返す」です。

邦題「繰り返される共通通貨の歴史」との記事は・

古代ギリシャは立派な先駆者
ギリシャ経済の低迷と、欧州経済通貨統合(EMU)に与える悪影響は、前例のないことのように見えますが、実は何度も繰り返されてきたことです
●通貨統合は、近年の革新的な発想のようですが、通貨そのものと同じくらい長い歴史があります。しかし2500年の歴史の中で、多様な共通通貨が生まれたものの、殆ど長く続きせず、人々の記憶から消えているのです。

euro-monu.jpg初期の通貨統合では、ギリシャは重要な役割を担っていました。紀元前400年頃に小アジア西岸地域で行われました。ギリシャの7カ国が同盟を組んで造った貨幣制度は、のちの欧州通貨統合の先駆けと言えます。 
●この初期の通貨統合が、いつ、どのように崩壊したかは不明ですが、200年後に、古代ギリシャでは別の「アカイア同盟」の試みがなされ、ペロポネソス半島一帯の地域や都市国家が参加して、紀元前280年ごろに形成されました

●歴史家ポリュビオスによると、この「アカイア同盟」でギリシャ人は「友好的な同盟地域を構築しただけでなく、共通の法律、度量衡単位、通貨制度も導入し、役人や議会、裁判所まで共有した」といいます。
これほど高レベルの統合は、現代の欧州官僚にとって羨ましい限りに違いなく、以後の歴史上の通貨統合と異なり、アカイア同盟は100年以上続きました
●この同盟は紀元前146年に消滅しましたが、その原因は同盟内のもめ事ではなく、ギリシャがローマ軍に惨敗した外的要因でした。

反面教師ギリシャ「ラテン通貨同盟」
●1832年にオスマントルコ帝国からの独立を勝ち取って以来、ギリシャは度重なる財政危機や債務不履行に悩まされ、長い間、国際資本市場から事実上締め出されてきました。
ラテン通貨同盟の発足は1866年8月で、当初の加盟国はフランス、ベルギー、イタリア、スイスでした。4カ国は、各国の通貨を標準化し、交換可能にすることに合意しました。共通の単一法定通貨は作られませんでしたが、加盟国の通貨が互いに定率で固定されたのです。
2年後、当初の4カ国にスペインとギリシャが新たに加入し、1889年には、ルーマニア、ブルガリア、ベネズエラ、セルビア、サンマリノが加盟し、ラテン通貨同盟は、第一次世界大戦まで続きました。

euro-pic.jpg●このようにギリシャはラテン通貨同盟の草創期に加盟しましたが、やがてその存在は歓迎されなくなり、懸念の的となっていきました。慢性的な経済の低迷で、ギリシャ政府が何代にもわたって合意に反して硬貨の金含有量を減らしたため、他の加盟国の硬貨と比べてギリシャ通貨の価値が下がった為です。
無責任で容認できない行動をとり続けたギリシャは、1908年にラテン通貨同盟から正式に除名されました。その結果、ギリシャは通貨政策を見直し、2年後に再加入しましたが、その頃には同盟全体がますます脆弱になり、4年後の第一次世界大戦が勃発で消滅しました。

他の欧州での通貨同盟:19世紀
1857年のドイツ通貨統合は、ドイツ国内通貨を統一しようというもので、北部ドイツのターレルと南部ドイツのグルデンの2本建てでした。まれな成功例で、1870年のドイツ統一まで継続し、統一の5年後には2つの通貨に代わってライヒスマルクが公式通貨になりました
1873年にデンマークとスウェーデンがスカンディナヴィア通貨統合を結成し、2年後にはノルウェーも加盟しました。ラテン通貨同盟に対抗し、スカンジナビアでの通貨統合実現する狙いで、第一次世界大戦で事実上機能を失い、1924年に正式に解散しました。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////

ギリシャを観光すると、クレジットカードでの支払いを拒否されることが多いようです。理由は事業主が税金をごまかせないからだそうです。富裕層の税金逃れも目に余るモノがあるようで・・。

EUROgreece.jpgBBC記事の中身は、通貨統合の話が出る度に英国内では激しい議論の末に加盟を2回見送ったが、それは正しい判断だった様に思えるとの内容です。ラテン同盟でもユーロ通貨同盟でも・・。

ラテン同盟の際には、英1ポンド硬貨の金含有量の変更や10進法導入でシリングとペンスの廃止が条件だったことが具体的障害だったようですが、例え「仲間はずれにされても」との信念もあったのでしょう

1860年年代後半の「エコノミスト」誌編集長、ウォルター・バジョットはラテン同盟加入に関し、「どうしても乗り越えられない」困難を指摘し、総合的には「統一通貨を導入する試みは、現時点では不可能」であると危惧していました。
コメントする知識が足りないので、「歴史は繰り返す」としておきます。

「偽りの縮図:古代ギリシャ解釈」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2012-07-03
「頑張れベトナム」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-10-18
「ミャンマーの魅力と課題」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-10-29-1
「ザッケローニが語る」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-12-30-1

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0