「戦後初」米空軍トップがベトナム訪問 [安全保障全般]
戦後44年を経て、父が戦った地を訪問
1995年に国交回復も空軍トップ訪問は戦後初
今の米軍首脳の親はベトナム経験者なんだと気づきました
12日付米空軍公式web記事が、8月19日の週に米空軍参謀総長としてベトナム戦争後に初めてベトナムを訪問したGoldfein大将と、同行しているBrown太平洋空軍司令官の「感慨深い」同地訪問を伝えています
もちろん米空軍トップとしては少なくとも44年ぶりのベトナム訪問で、またトランプ大統領が強く問題視している米ベトナム貿易不均衡で両国間がギクシャクな中での訪問のですので、それだけで十分「感慨深い」のですが、特に二人の米空軍首脳にとっては、父親が命をかけて戦い、その様子を父親から聞いて育った世代として特に印象深いものだったと記事は紹介しています
父親が操縦するF-4や輸送機から見たであろう通称「Red River Valley」や、故マケイン上院議員らが収容され拷問を受けた「Hanoi Hilton」など、父親世代が敵として戦った北ベトナムの様子を目の当たりにしつつ、40年以上を経て変化した国際環境をベトナム軍関係者と共通の認識に立って語る機会を得るたことは、米空軍大将の二人にとって「感慨深い」ものであったろうと思います
具体的な軍事協力の話が紹介されているわけではありませんが、現在の米軍首脳にとっての「ベトナム」を考えさせる記事ですので、少し「センチメンタル・ジャーニー」ですがご紹介しておきます。
12日付米空軍公式web記事によれば
●フィリピンからベトナムに移動する機内からGoldfein空軍参謀総長は、彼の父親がF-4戦闘機の操縦席から見たと聞いている泥で赤く染まった大きな川の流れ「Red River Valley」を見つめていた。
●参謀総長に同行していたBrown太平洋空軍司令官も、彼の父が特殊情報作戦兵や輸送部隊兵として2度にわたり戦ったベトナムの様子を感慨深く上空から眺めつつ、まだ若かった父親が戦場に向かった当時の思いに思考をめぐらせていた
●Goldfein参謀総長世代には、特に米軍兵士第2世代にとってベトナムは、戦後44年が経過し、国交回復25年を迎えても特別な思いが伴う場所である。また戦後初の米空軍トップ訪問を、ベトナム側がどのように考えているかも両大将は予想できなかった
●しかし心配は杞憂だった。参謀総長は「本当に誠実で暖かなもてなしだった」と語り、太平洋空軍司令官は「ベトナム戦争時の捕虜の扱いとは正反対の歓迎をベトナム側から受けた」と表現した。
●2007年にWTOに加盟したベトナムは、米国にとって16番目の貿易相手国であり、インドネシア、マレーシアと並び地域情勢を考える上での重要な「strategic partnership」国であり、国際法や国際秩序を尊重し、航行の自由など共通の原則や価値観を共有する国である
●軍事分野では、ベトナム人民軍空軍(Vietnam People’s Air Force)などと毎年複数の演習や訓練を行い、2国間や多国間の相互運用性強化に努めているところである
●参謀総長はベトナム側との会談を振り返り、「戦いあった戦士の第2世代である我々は、その後の時の流れをかみ締めつつ、両国関係について語り合った」「両国の貿易不均衡が関係発展を一時足踏みさせることはあるが、中国の地域への影響力拡大は、両国の戦略的利害関係を接近させる」と表現し、
●「ベトナム戦闘時の負の遺産であるダイオキシン除去の問題についても率直に意見交換し、また、遺骨帰還への取り組みについても話し合った」と触れ、Brown大将は「先立つフィリピン訪問も含め、国家の安全保障を確保する取り組みがますますwhole-of-government体制で求められることを認識した」と語った
●一連の会談の合間に両大将は、宿泊するホテルからもその悪名高かった赤い屋根が見えるかつての捕虜収容所「Hanoi Hilton」を訪れた。
●今回の海外訪問中に捕虜経験者の回想録を読んでいる参謀総長は「故マケイン議員らが過ごした独房の前に立つと、超現実的な感覚に囚われ心動かされる」、太平洋空軍司令官は「私はほんの数分コンクリート製の独房を経験しただけだが、劣悪な環境下で何年もの時間を過ごした米軍捕虜がいたことを考えると、身の引き締まる思いだ」と述べた
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一つの疑問は、訪問からなぜ3週間も経過した9月12日に、この記事が米空軍公式webサイトに掲載されたかです。べトナム側の了解を得る必要があったのでしょうか? 両大将の行動は、8月16-22日の間に、フィリピン、ベトナム、豪州を巡るもので、なぜ掲載までにこれほど時間が必要だったのか不明です。
記事には「trade imbalance could temporarily stall progress」との表現があり、まさかホワイトハウスまでお伺いを立ててから掲載したのか?・・・なんて邪推してしまいます
先日ご紹介した「軍事クーデター」関連の人権問題で関係停滞のタイではありませんが、南シナ海をとりまく重要パートナーであるべきはずのベトナム(それも貿易額16番目)と貿易不均衡で揉めている場合でしょうか?
ベトナムと米国関係
「戦争後初:米空母がベトナム訪問へ」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2018-02-24
「米国武器フル解禁発表」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2016-05-21
「2015年カーター長官訪問」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2015-06-02
「武器輸出緩和発表」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-11-13-2
「ベトナムへ武器輸出解禁か?」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-09-28
「50年ぶり米軍トップが訪問」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-08-16
「ベトナムと中国と関係改善の兆し?」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-08-28
1995年に国交回復も空軍トップ訪問は戦後初
今の米軍首脳の親はベトナム経験者なんだと気づきました
12日付米空軍公式web記事が、8月19日の週に米空軍参謀総長としてベトナム戦争後に初めてベトナムを訪問したGoldfein大将と、同行しているBrown太平洋空軍司令官の「感慨深い」同地訪問を伝えています
もちろん米空軍トップとしては少なくとも44年ぶりのベトナム訪問で、またトランプ大統領が強く問題視している米ベトナム貿易不均衡で両国間がギクシャクな中での訪問のですので、それだけで十分「感慨深い」のですが、特に二人の米空軍首脳にとっては、父親が命をかけて戦い、その様子を父親から聞いて育った世代として特に印象深いものだったと記事は紹介しています
父親が操縦するF-4や輸送機から見たであろう通称「Red River Valley」や、故マケイン上院議員らが収容され拷問を受けた「Hanoi Hilton」など、父親世代が敵として戦った北ベトナムの様子を目の当たりにしつつ、40年以上を経て変化した国際環境をベトナム軍関係者と共通の認識に立って語る機会を得るたことは、米空軍大将の二人にとって「感慨深い」ものであったろうと思います
具体的な軍事協力の話が紹介されているわけではありませんが、現在の米軍首脳にとっての「ベトナム」を考えさせる記事ですので、少し「センチメンタル・ジャーニー」ですがご紹介しておきます。
12日付米空軍公式web記事によれば
●フィリピンからベトナムに移動する機内からGoldfein空軍参謀総長は、彼の父親がF-4戦闘機の操縦席から見たと聞いている泥で赤く染まった大きな川の流れ「Red River Valley」を見つめていた。
●参謀総長に同行していたBrown太平洋空軍司令官も、彼の父が特殊情報作戦兵や輸送部隊兵として2度にわたり戦ったベトナムの様子を感慨深く上空から眺めつつ、まだ若かった父親が戦場に向かった当時の思いに思考をめぐらせていた
●Goldfein参謀総長世代には、特に米軍兵士第2世代にとってベトナムは、戦後44年が経過し、国交回復25年を迎えても特別な思いが伴う場所である。また戦後初の米空軍トップ訪問を、ベトナム側がどのように考えているかも両大将は予想できなかった
●しかし心配は杞憂だった。参謀総長は「本当に誠実で暖かなもてなしだった」と語り、太平洋空軍司令官は「ベトナム戦争時の捕虜の扱いとは正反対の歓迎をベトナム側から受けた」と表現した。
●2007年にWTOに加盟したベトナムは、米国にとって16番目の貿易相手国であり、インドネシア、マレーシアと並び地域情勢を考える上での重要な「strategic partnership」国であり、国際法や国際秩序を尊重し、航行の自由など共通の原則や価値観を共有する国である
●軍事分野では、ベトナム人民軍空軍(Vietnam People’s Air Force)などと毎年複数の演習や訓練を行い、2国間や多国間の相互運用性強化に努めているところである
●参謀総長はベトナム側との会談を振り返り、「戦いあった戦士の第2世代である我々は、その後の時の流れをかみ締めつつ、両国関係について語り合った」「両国の貿易不均衡が関係発展を一時足踏みさせることはあるが、中国の地域への影響力拡大は、両国の戦略的利害関係を接近させる」と表現し、
●「ベトナム戦闘時の負の遺産であるダイオキシン除去の問題についても率直に意見交換し、また、遺骨帰還への取り組みについても話し合った」と触れ、Brown大将は「先立つフィリピン訪問も含め、国家の安全保障を確保する取り組みがますますwhole-of-government体制で求められることを認識した」と語った
●一連の会談の合間に両大将は、宿泊するホテルからもその悪名高かった赤い屋根が見えるかつての捕虜収容所「Hanoi Hilton」を訪れた。
●今回の海外訪問中に捕虜経験者の回想録を読んでいる参謀総長は「故マケイン議員らが過ごした独房の前に立つと、超現実的な感覚に囚われ心動かされる」、太平洋空軍司令官は「私はほんの数分コンクリート製の独房を経験しただけだが、劣悪な環境下で何年もの時間を過ごした米軍捕虜がいたことを考えると、身の引き締まる思いだ」と述べた
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一つの疑問は、訪問からなぜ3週間も経過した9月12日に、この記事が米空軍公式webサイトに掲載されたかです。べトナム側の了解を得る必要があったのでしょうか? 両大将の行動は、8月16-22日の間に、フィリピン、ベトナム、豪州を巡るもので、なぜ掲載までにこれほど時間が必要だったのか不明です。
記事には「trade imbalance could temporarily stall progress」との表現があり、まさかホワイトハウスまでお伺いを立ててから掲載したのか?・・・なんて邪推してしまいます
先日ご紹介した「軍事クーデター」関連の人権問題で関係停滞のタイではありませんが、南シナ海をとりまく重要パートナーであるべきはずのベトナム(それも貿易額16番目)と貿易不均衡で揉めている場合でしょうか?
ベトナムと米国関係
「戦争後初:米空母がベトナム訪問へ」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2018-02-24
「米国武器フル解禁発表」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2016-05-21
「2015年カーター長官訪問」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2015-06-02
「武器輸出緩和発表」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-11-13-2
「ベトナムへ武器輸出解禁か?」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-09-28
「50年ぶり米軍トップが訪問」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-08-16
「ベトナムと中国と関係改善の兆し?」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2014-08-28
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