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普天間移設:米担当の日系ナツハラ氏 [米国防省高官]

5月は米国のアジア系米国人活躍を讃える月間

natsuharaNavy.jpgこの「Asian-American Heritage Month」に、国防省がその象徴として取り上げたのが海軍次官補代理(施設環境エネルギー担当)を勤めるRoger Natsuhara氏です。

ナツハラさんの現在の職は、海軍だけでなく海兵隊の施設も担当に含まれており、普天間の海兵隊施設移設問題では国務省や海兵隊の関係者とともに日本との交渉に当たる役割です。
外務省や防衛省の皆さんの中には、また沖縄の皆さんの中には顔をご存じの方もいらっしゃるでしょう。

ナツハラさんの人生は・
第2次大戦中、祖父母や両親は日系人強制収容所に収監された。戦争終了後、父は鉄道会社に職を得たが、両親と兄弟の住まいは唯一入手可能だった捨てられた鉄道車両だった
父は努力し、同鉄道会社でアジア人が2名しかなし得なかった重役にまでなったが、差別を恐れ強制収容所で育ったことは口にするなと言われていた。また日本人と見られることは不利なので、日本語を話すなとも言われて育った。

Navy-Facility.jpg●ボーイングの技術者として勤務後、1982年に海軍士官に任官、以後25年間、海軍大佐として退役するまで主に施設士官として勤務した
退役後、海軍記念施設協会や国立海洋大気行政局で施設や不動産の管理を担当し、2009年から現職に就いている

日系人としての海軍や海軍省勤務を
海軍に入った頃は、日系人社会との違いにとまどった。どうしてこのグループに入ろうかと考えた。しかし海軍での日々で、海外勤務や家族から離れての日々で、米国軍の一員であると感じられるようになった
●他のアジア系米国人には、挑戦を続け、自らが心地よい領域の外にあるリスクを取ることの重要性を説いてきた。自らの職で専門分野を担当すれば懸命に働くチャンスが得られる。しかしそれは昇任を得ることとは違う。それにはいくらかの関係と信用を得ることが必要

海軍基地の売店で日本軍の士官と間違えることもあった。IDを見せて初めて米海軍士官と認めてもらうこともある。
●現在の職場でもそうだ。外部からの来訪者が、私でなく私の部下の大佐に向かって話し始めることもしばしばである。部下に促されて私が責任者だと気づく。

Navy-Facility2.jpg●海軍での現在の職は夢であり考えもしなかった挑戦でもある。国務省や国防省、日本のカウンターパートと海兵隊のアジア太平洋地域での新たな体制を議論する事に取り組んでいる
●海軍のどのポストでも、私の上司達は私を公平に扱ってくれた。それでもアジア系米国人にとっての挑戦が依然あることを否定しない。しかし否定的には見ていない。アジア系米国人には米軍のチャンスを最大限に生かして欲しい。

ナツハラさんのバイオ
http://www.donhq.navy.mil/ie/Roger_Natsuhara_Bio.pdf
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在日米軍再編をこのような方が担当しているとは・・・
しかし上記の国防省webサイト記事は、結構率直なナツハラさんのコメントを掲載しています。人種の真の融合とは、永遠の課題なのでしょう。

日系人部隊442連隊の誇り
「マレン議長が442部隊に敬礼」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2009-11-04
「映画公開と442部隊の魂」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2009-11-03

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